今年5月に開店した、和・洋創作料理の居酒屋。翌午前5時まで営業する。和風の店構えにカウンター席中心の落ち着ける店内には、会社が応援する若手ゴルファーの写真が壁面に並ぶ。
「ディナータイムはお酒と楽しむ料理を提供し、午後11時からはバータイムで軽食を用意。2、3次会のほか飲食店の勤め帰りの方に、深夜でも手仕込みの料理が食べられると好評です」
洋食と和食出身の2人が、サーモンのじゃがいもパリパリ巻き、ホタテの塩辛アンチョビ風など、季節の食材を使ってメニューを考案する。
「前日までに予約すれば希望の食材を使った料理もお作りします。味の好みなども気軽に伝えてください」
週替わりのおすすめ日本酒は料理に合う辛口が中心。洋食に合わせてワイン、ウイスキーも数銘柄をそろえる。
「お客さまに喜ばれる店づくりを目指し、深夜まで料理を出せるよう時間交替制を採用した。勤務条件の改善は人手不足解消につながる。若い世代にアピールして料理人を育てていきたい」
中区銀山町でキックボクシングジムを運営している。関西出身だが、前職で広島に転勤して以来、サンフレを応援。9月に開業してすぐにPRサポートショップに登録し、ポスターなどを飾っている。
広島で初めて居を構えたのが広域公園近くのAシティで、普段から選手の姿を見かけるなどサッカーが身近だった。当時はボランティアなどの地域活動に参加するたびにチケットをもらえたので、妻や子どもを連れて頻繁に観戦。新スタジアムでも声援を送っている。
サンフレ一筋で、今年引退した青山選手が好きだ。日本代表の試合を終え、チームの合宿に合流する青山選手と新幹線で同じ車両になったことがあり、気さくに話していただいたことで一層ファンになった。
近年は出場機会が少なかったが、青山選手がベンチにいるだけで一気に士気が上がり、選手の動きや雰囲気が変わるのを感じた。劣勢でも決して諦めず最後の1分まで声を上げ続ける姿勢には頭が下がる。試合に負けてうつむく選手に「次がある」と声を掛けていた姿も印象的だ。自身はピッチに立てずとも、選手の痛みや苦しみを自分事として捉え、同じ立場で戦っている気持ちを持っているのだろう。私の本業であるトレーナーのあるべき姿を学んだ気がする。
今年は残念ながらシャーレを掲げることはかなわなかったが、来年はコーチとしてチームを優勝へ導いてくれると期待している。
元日の能登半島地震に緊張感が走った。師走を迎え、韓国ユン(伊)大統領の非常戒厳宣言に続く大混乱や、シリアのアサド政権崩壊のニュースにも驚かされた。2025年早々、米国のトランプ大統領が待ち構えている。世界、日本にどんなニュースが飛び出してくるだろうか。
スポーツ界は大谷翔平選手をはじめ、明るいニュースがあった。カープの大失速で、3位に浮上した横浜ベイスターズが何と日本一を制覇。三浦監督が感動で顔をゆがめたテレビ中継に見入った。話題はがらりと移るが、22年にディー・エヌ・エー(東京)グループに入り、7月に社長交代したデータホライゾン(西区)の内海良夫会長(77)に話を聞いた。IT事業に懸ける情熱は冷めやらず、生涯を貫く命題なのだろう。
「改めて本丸のデータヘルス関連事業をてこ入れすることが私のなすべき仕事と肚をくくっている。管轄の厚生労働省の担当者らをはじめ国の機関に働き掛けていく」
と決意をにじます。
1972年に広島大学理学部を卒業後、コンピューターの可能性に賭け、起業。82年設立したワイエス企画を現社名に変更した2000年以降は医療分野へ専念していく。健康寿命の延伸と医療費の適正化を使命と定め、医療情報データ分析・活用を武器に、アウトカムを重視したデータヘルスケア関連事業に全力を注いだ。8年後、東証マザーズ上場を果たす。
全国に先駆け、数百万円の医療費がかかると言われる透析治療の患者数を減らした呉市の取り組みに示唆を受け、PDCAに沿った効率的、効果的な保健指導に着眼したビジネスモデルを確立。国策として全国自治体へ広がっていった。
「1年後に1割が透析に至る腎不全(4期)患者を優先的に指導することが、データヘルスの原点で重要なポイント。だが、近年は指導の成果が見えにくい早期腎症期(1・2期)の指導に偏っており原点に戻したい。運動や食事、生活習慣は看護師や保健師、管理栄養士が指導する領域で、医療分野ではないが、医師からの勧奨が不可欠。医師会との連携協力を深めていく」
本来は、保険者に診療報酬を請求するためのレセプト。傷病名や診療行為、服薬などさまざまな医療情報を目的に応じて整理・分析。メンテナンス体制を整えてきた。20年以上をかけデータベースとして蓄積しながら「宝の山(ビッグデータ)」へと変貌させた価値は大きい。現在、主力の市町村国保向けデータヘルス計画作成支援業務は500件以上に及ぶ。その着眼点が、事業化するための専門的な知見と実行力を持った当時の広島大学の森山美知子教授と呉市の中本克州副市長との出会いを引き寄せた。
全ての人に関わる健康。レセプトデータ活用のパイオニアと、プロ野球球団も持つゲームなどを開発するエンターテインメントの強みが化学反応を起こし、さらに元気で長生きできる人生の応援団へ、もうひと踏ん張りしてもらいたい。もう一つ。新たな命題が見えてきたのか、個人で農業参入を構想しており、北海道に広大な耕作地を手当し、新しい種まきを計画する。
「現状の自給率を考えると、これからは農業だと思う。世の中に貢献しない会社はやがて淘汰される。社会貢献こそが会社存続の最大の武器」
着眼し、自ら動く。創業精神はなお健在だ。